星で究める、私らしさとファッション考

現役ファッションエディターによる、本当に自分らしいおしゃれをホロスコープから探究するブログ。

魚座と蠍座の「一体感」の違いって?

ホロスコープを学びはじめてほどないころ、ある野心的な(と言ってしまおう、太陽山羊座の人で、世の中に食い込んでいく過程も手段も合理的かつ野心的で、まさに山羊座! だったから、山羊座スクエアの獅子座の私は刺激を受けて突発事故的に惹かれた・・・)占い師のオンラインイベントに参加したことがあった。

彼女曰く「魚座のキーワードは【一体化】」とのことだったが、月魚座&個々人のこだわりを示すという2ハウスカスプ魚座の私には、その前後のセンテンス含め、どうもしっくりこなかった。なぜ、そのときその場で「蠍座の【一体化】と、あなたが言う魚座のそれは、どう違うのか?」と突っ込めなかったのか・・・という自分への悔恨と反省が、今もずっと小骨がのどに刺さり続けているように残っている。確実にその表現に違和感があるのに、でもはっきりとした正解がつかめないような気がしていた(曖昧模糊な感情を味わって不安げにたゆたっているのは、まさに月魚座ゆえか・・・)。

 

その【魚座蠍座の一体化】の齟齬に対する現時点の考察としては、大前提として

「一体化」という言葉によるイメージや実感、深さのの度合いが、人それぞれ(=そのひとのチャートや強いサイン、ハウスカスプ)でまったく違う

という視点が不可欠だと思っている。

 

くだんの占い師のチャートを正確に知らない(覚えていない)が、私個人は蠍座ダブルハウスで、チャートルーラーも蠍座にある。なおかつインターセプトの8ハウスがステリウム、という、「ずーーーっと隠していたが(今も外へ出てきていないかもだが)、8ハウスの『自己変容』と『8ハウス&蠍座的一体感』への訴求の重さと執着をなめんなよ!」というチャート。

とはいえここ以外の要素は、サインもアスペクトもハウスの配置もほぼほぼさっぱりあっさり。執着もあとくされも、人生へのわかりやすい示唆も、ネイタルだけだとあまり見受けられない、という配置だが…。

 

ひいては「とことん深掘りし、磨き、それ以前の自分の見識や価値観が変わるほど影響と薫陶を受ける」のが、私にとっての【一体化】の意味であり、定義だ。その占い師の彼女にとっては【一体化】の実感と意味が、そこまで深く重くなかった可能性がある。つまり、イメージや概念を共有するためには、まず〝自分と他者との見方、価値観、感受性の違い〟をフラットにとらえたうえで互いの違いと共通意識をつきあわせる必要がある、ということ。

 

・・・ということを踏まえて、月といういつもは意識していないマインドセット――ナチュラルボーンマインドが魚座――としての立場から考えると、魚座蠍座の一体感の違いとは?

 

月はプライベートの顔であり、妻としての私であり、「こういう状態にしておいてほしい、安心する」を表す、受動的で無垢な天体。その月を魚座にもつ素直な感覚としては、

寄りかかり、同時に寄りかかってもらえる人が、揺らぎ続ける自分の芯を見つけるために必要不可欠。自分の全部をかけられる人、さらにその人の体と心をぴったり抱きしめ抱きしめてもらえる状況に幸せを感じる。でも魂は自由でありたいし、相手の魂も同じように自由であってほしい。そのうえで選び、選ばれたい。その感覚を共有したい。

って感じかな、と思っている。まあある意味【一体化】かもしれない。だけどそのふたつのサインの差異と意味を、誠実に&厳密にいうなら

蠍座の【一体化】→「自分と相手の境目がなくなるくらい、思考も粘膜も魂もくっついて、高い密度で同化すること」

魚座の【一体化】→「物質的とか同時性とかのフェーズに留まることなく、お互いの思念や魂の自由度は当たり前で尊重するうえで、おんなじ海に溶けてるよねー、だよねー! と無限に広がっている」。

 

それぞれのサインのルーラーである冥王星/火星の違いともいえるかもしれない。

ルーラー、大事! イメージや概念など見えないものを言語化して共通認識に落とし込むには、それぞれの強いサインやカスプサインもしっかり見て比較検討する必要がある。

そのうえで、相手の認識や発言、言い回しなどに対する自分のちょっとした違和感って大事で、そこが深掘りするきっかけや考察の端緒になるんだな~、と改めて思ったのだった。